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ブログ

2019-08-27

永楽通宝

司馬遼太郎の小説『国盗り物語』で浪人松波庄九郎、後の斎藤道三が油の辻売りで見せた芸。売り手の枡から買い手の壺に油を移す時、一筋の糸のように垂らし永楽銭の真ん中の四角い穴を通す。もし油が一滴でも穴の外にこぼれたら代金はいただかないと口上を述べる。

「枡は天竺須弥の山、油は補陀落那智の滝、とうとうたらり、とうたらり、仏天からしたたり落つるおん油は、永楽善智の穴を通り、やがては灯となり無明なる人の丗照らす………」

これは司馬遼太郎の創作ではありますが、ここで使われた永楽銭、永楽通宝は、織田信長の旗印でもありました。

上杉謙信の「毘」武田信玄の「風林火山」徳川家康の「厭離穢土、欣求浄土」など精神的な世界観などではなく、銭そのものを軍団の象徴とする画期的な旗印です。しかも中国の明の時代の年号の輸入通貨。現代で言えば新興企業が徽章にアメリカのドル紙幣を描いているようなものか。

信長は次男信雄を伊勢南部を支配する北畠氏の養子に、三男信孝を伊勢北部を支配する神戸(かんべ)氏の養子にしている。いずれも相手を屈服させ信長の遺伝子を受け継ぐ者を送り込み乗っ取るための手段であった。伊勢を支配し伊勢湾の制海権を把握する。商船から港に上陸する際に関税を徴収する。信長にとって伊勢は重要な財源であった。にしてもなぜ銭?

写真は三宝院庭園