キリスト教では復活祭の前40日間は肉を食べることを禁止していた。ヨーロッパで肉の代わりとされたのがバルト海のハンザ都市リューベック(ドイツ)の特産品「ニシンの塩漬け」であった。
しかしニシンは気紛れでバルト海に来ないこともあった。そのとき常時多数の漁船を北海に派遣し流し網で大量にニシンを獲り船上で塩漬けニシンの樽詰を量産して売ったのが、オランダ商人であった。「アムステルダムはニシンの骨でできている」と言われた。
冬の北海での漁業は船を激しく損傷させ、そのため安価に船を造る造船業が発達し、17世紀オランダはヨーロッパ第一の海運国となった。
またオランダ人は荒れる北海でのニシン漁で優れた操船技術を身につけ、「吠える40度」と呼ばれる偏西風を利用してジャワ島(インドネシア)へと至る航路を開拓した。
オランダ人はジャワ島のバタヴィアに拠点を築いて東インド諸島の香辛料貿易を独占した。そしてバタヴィア、マカオ、長崎(出島)の三角貿易を確立した。
参考文献 宮崎正勝『商業から読み解く「新」世界史』
写真は武蔵の里(美作市)