中世以来ユダヤ人の多くは差別が少ないポーランドに住んでいたが、18世紀にロシアに併合された。
1853年のクリミア戦争でロシアは完敗したが、イギリス軍の蒸気船を見てロシア人は仰天、ロシアは近代化を急いだ。
しかし資金面ではユダヤ系財閥ロスチャイルドの資本に頼らざるを得なかった。ロスチャイルドの投資によってロシアの皇族・貴族は私腹を肥やしたが、一般市民には富が行き渡らず貧富の差が広がり、民衆の不満が高まった。
民衆の不満が政府に向くことを恐れたロシア政府は「富の不均衡の原因はユダヤ人にある」と喧伝した。ロシア政府はいわば「恩を仇で返した」。
そのような時皇帝アレキサンドル2世が暗殺される事件が起きた(1881年)。犯行グループの中にユダヤ人がいたことからロシア全土で民衆がユダヤ人を襲撃する事件が起きた。この時ユダヤ人が逃げ延びた先がヨーロッパとアメリカであり今アメリカに住むユダヤ人のほとんどはロシアからの移民である。
第一次世界大戦中、レーニン率いるボリシェヴィキが帝政ロシアを倒した(ロシア革命)。レーニンは母方がユダヤ人であり、赤軍司令官トロツキーもユダヤ人であった。またボリシェヴィキに資金を提供したのも国外のユダヤ資本であった。乱暴に図式化するとロシア帝国に迫害されたユダヤ人がロシア革命でロシア帝国を倒した。
レーニン死後ユダヤ人トロツキーとグルジア(ジョージア)人スターリンの権力闘争が起き、スターリンの大粛清によりユダヤ勢力は共産党から一掃された。またスターリンはユダヤ資本で開発した鉄道や油田を次々に接収、国有化した。それを見ていた国外のユダヤ系金融資本は怒りに震えた。「スターリンは恩を仇で返した」と。
第二次大戦後、米ソは冷戦に突入するが、その根本にはアメリカに住むユダヤ人のロシアに対する敵対心があった。
参考文献=茂木誠『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』
画像=炭俵を積んだ大八車(村岡ファームガーデン)