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パレスティナ問題


 パレスティナを支配していたオスマン帝国は19世紀後半には弱体化しており、1894年フランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人大尉ドレフュスの冤罪事件)をきっかけにシオニズム運動(ユダヤ人のパレスティナへの帰還を目指す運動)が起きた。

その後第一次世界大戦でイギリスは戦争の資金調達に苦しみ、ユダヤ人財閥ロスチャイルドに援助を依頼した。ロスチャイルドは援助と引き換えにパレスティナにユダヤ人国家を建設することを約束させた(バルフォア宣言)。

しかし第一次大戦の頃にはすでにエネルギー動力は石炭から石油に移行しており、イギリスは油田を所有するアラブ人の要求にもこたえる必要があり、アラブ人にも居住地を約束した(フサイン・マクマホン協定)。(イギリスのいわゆる二枚舌外交)

第一次大戦後、イギリスはユダヤ人のパレスティナ移住を進めたが、追い出されたアラブ人とユダヤ人は武力衝突を起こした。

イギリスは混乱を収拾するためユダヤ人のパレスティナ移住を制限したため、イギリスに失望したユダヤ人はアメリカでロビー活動を行ない、アメリカにユダヤ人国家建設の支援を約束させた。

1948年ユダヤ人国家イスラエル成立。イスラエル建国後アラブ人はヨルダン川岸地区とガザ地区に移住させられた。

ガザ地区を主導する過激派ハマスによりイスラエルとの対立は激化している。

ちなみにですが、イスラエルの面積は22140k㎡ 四国よりは広く、九州よりは狭い。

参考文献=宇山卓栄『「民族」で読み解く世界史』

画像=先日植栽した花壇