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毛沢東越え

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

習仲勲は1913年中国中部の陝西省に生まれ、10代で中国共産党に入党した。共産党の「長征」の最終目的地とされたのが陝西省であり、習らが共産党の根拠地を死守したこともあり、同省の延安が臨時首都とされた。

習は国務院副総理などの要職に就いた。

しかし1962年、反党的な小説の出版に関与した嫌疑により全ての要職を奪われ16年間投獄された。

さらにその後猛威をふるった文化大革命の嵐は息子の習近平にも及び、紅衛兵によって生家を破壊されただけでなく、反動学生として4回投獄された。さらに陝西省の寒村に「下放」され黄土を掘って作った洞窟に寝泊まりし、労働体験をさせられた。習の姉は餓死したと伝えられる。

これらは毛沢東が権力闘争の中で文化大革命という騒動を起こし、その影響をもろに受けてしまったことによるのであり、苦難の根源は毛沢東にあるのは明白である。

にもかかわらず習近平は毛沢東を偉大な指導者として国民に尊敬するよう強要し、毛の著作を読むよう奨励している。文化大革命を批判する言葉も歴史教科書から削除された。このあたりの習近平の心理は謎ですが、参考文献では虐待されてもなお親のもとにとどまりたい子供の心理かと推定しています。

さらに習近平は毛沢東さえやらなかった、チベット人、モンゴル人、ウイグル人という民族のアイデンティティーを完全に剥奪し漢民族に同化させるという暴挙に出ています。

参考文献=エドワード・ルトワック『ラストエンペラー習近平』