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中東の狂犬

 前回同様アメリカの介入についてみていきます。
エジプトとチュニジアに挟まれたリビアで1969年から2011年まで権力を握ったカダフィ大佐については、その独裁と非民主主義国家というイメージしかないが、実際の内政はどうだったのか?カダフィの功績を列挙します。
・石油の利益によりリビア国民にアフリカ最高水準の生活をもたらした。
・教育・医療費無料
・女性の教育・就労を奨励
・新たな就農者には土地・家・家畜・飼料を無料支給
・灌漑設備により砂漠の緑地化
ただカダフィは選挙権を認めなかった。
2010年にチュニジアから始まった「アラブの春」はエジプト・リビアにも波及した。大統領は失脚したが殺害まではされなかった。しかしカダフィだけは殺された。カダフィが殺害されたとき当時のオバマ政権の国務長官ヒラリー・クリントンは狂喜した。2012年のアメリカ大統領選挙を控えていたオバマと、2016年の大統領選挙に出たクリントンにとって、リビアの民主化を達成したという外交的成果が欲しかった点では一致していた。ではなぜカダフィだけが生存を許されなかったのか?

 2009年カダフィはアフリカ連合の議長をしていたが、石油をドルで決済するというペトロダラーシステムに挑戦し、リビア通貨ディナールに金兌換性を持たせ石油決済をディナールでするよう提案し、エジプトとチュニジアが賛同した。これはアメリカのドルを脅かすものであった。

 カダフィ政権崩壊後、リビアはイスラム主義勢力の西部と世俗派の東部に分裂し、内戦状態に陥った。トルコや旧宗主国のイタリアが西部を、ロシアやエジプトが東部を支援している。カダフィ時代にくらべ、治安も経済も格段に悪化した。

 

 

画像=瑠璃寺(佐用町)の渓谷