岡山後楽園は岡山藩主池田綱政が岡山郡代官津田永忠に命じて造らせた。
では津田永忠はどんな仕事をした人物か?
干拓による新田開発と水害対策のための治水工事、いわば土木工事の専門家のようです。
池田綱政は二代目藩主であり、初代は名君として知られる池田光政。
では池田光政はどのような政策を行なったのか?
光政も新田開発と治水事業、さらに閑谷学校を開き教育を充実させ、質素倹約を旨とした。従って庶民の奢侈を禁止した。
派手な祭礼を禁じ、元日、祭礼、祝宴以外での飲酒を禁止した。
この光政の質素倹約の方針は基本的には受け継がれたと思われます。なぜなら土木専門の家臣を後楽園作庭の責任者にして造園も兼務させた訳だから。
このため園内の流れは治水工事のように施工され、巨大な石を力付くで運んだのか。実用を兼ねた茶畑があるのか。 なんとなく納得。