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後妻の奸曲

北条時政の先妻の子は有名な政子、義時、時房、畠山重忠の妻、その他。

その後時政は娘の政子と同世代の牧の方を後妻に迎える。牧の方の子は清和源氏の子孫、平賀朝雅(ともまさ)や宇都宮頼綱に嫁いでいた。平賀朝雅は武蔵守となり、後鳥羽上皇とも接近、後鳥羽の笠懸の師匠となり権勢を誇った。

酒宴の席で朝雅と畠山重忠の息子が口論。これは時政の先妻の娘婿と後妻の娘婿の争いであった。これを聞いた牧の方は時政に畠山親子を討つよう要求。時政は義時、時房に命じたが二人は拒んだ。そこで牧の方は自分の兄弟をつかわし再度討伐を要請し二人は仕方なく了承し、坂東武者の鑑とも言われた畠山重忠は討たれた。「重忠は時政の先妻の聟(むこ)なり。朝雅は後妻の聟なり。当妻の奸曲により重忠並びに一族誅さる。」

さらに牧の方は幼い将軍実朝を廃して朝雅を将軍にしようと画策。しかし失敗し朝雅は討たれ時政は地元に謹慎させられた。

また同じく牧の方の娘婿である宇都宮頼綱にも謀叛の噂があったが、頼綱は直ちに出家し髻(もとどり)を献上して陳謝の意を示した。

その後牧の方は夫時政の十三回忌法要を娘たちと営んだ。