- 北条時政、政子は源頼家の妻の一族比企氏を滅ぼし、さらに頼家を修善寺に幽閉した。この時頼家はまだ存命であったが幕府は頼家死去と奏上し頼家の弟千幡を征夷大将軍に任命する。千幡に実朝の名を授けたのは後鳥羽上皇であった。
- 後鳥羽上皇の母七条院の弟坊門信清の娘(つまり後鳥羽のいとこ)が実朝の妻となる。後鳥羽と実朝は親戚であった。後鳥羽の和歌への執心の影響もあり実朝も和歌を始めた。
- 古今和歌集は身分の低い作者が中心であったが、新古今和歌集は五位以上の殿上人中心の和歌集で後鳥羽自ら編纂に関わった。
- 後鳥羽は日本書記以外行われなかった完成時の竟宴(饗宴)(言わば打ち上げパーティー)を行った。
- 新古今和歌集には源頼朝の和歌が掲載されている。
道すがらふじの煙もわかざりき はる る間もなき空のけしきに
(晴れる間もない曇り空だったので富 士山の噴煙が見えなかった)
頼朝の時代、富士山は煙を噴いていた のか。