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2020-08-04

ブリストル

17世紀後半カリブ海の島々(西インド諸島)でサトウキビの大量栽培がされるようになり、西インド諸島とイギリス、西アフリカの間の三角貿易が盛んになった。当時この貿易を独占していたのは王立アフリカ会社であった。

サトウキビは刈り取り直後に急速に甘味が落ちるため短時間のうちに原液を搾らなければならず、そのため集団労働を必要とした。最初にその労働力となったのは西インド諸島のインディオであった。しかしその後ヨーロッパ人が持ち込んだ病気や酷使のためインディオが絶滅に近い状態に陥ったため、イングランドの貧民やアイルランドの子供、流刑となった政治犯らが彼らに代わった。しかしそれにも限界があり、恒常的な労働力として注目されたのが西アフリカからの黒人奴隷であった。当時のアフリカのダホメー王国は奴隷貿易の仲介で栄えた国であり、毎年奴隷狩りを行いヨーロッパの商人に売り渡した。

イングランドのブリストルを出発した船には植民地向けの食糧や日用品、衣料などを満載、西アフリカに向かいそこでアフリカ人仲介商人に銃、ラム酒などを渡し黒人奴隷を船内に詰め込んだ。船は西インド諸島に向かいそこで奴隷を下ろし、砂糖、タバコ、ココア、木綿などを積み込みブリストルに帰還した。王立アフリカ会社の独占が廃止されてからはブリストルの商人が三角貿易の主役となった。18世紀後半蒸気船の発明により貿易船の大型化が進みブリストルのエイヴォン川の川幅がそれに対応できずリヴァプールに奴隷貿易の拠点の座を奪われた。

ブリストルの中心部に立つブロンズ像の主、エドワードコルストン。彼はブリストルの慈善家として有名で、町の幹線道路にコルストンアベニュー、建物にコルストンタワー、コルストンホール、さらにコルストン救貧院、コルストンガールズスクールなど彼の名のつくものにあふれている。その町の名士の像に1998年1月スプレー缶で落書きがされた。Slave Trader  (奴隷商人)。潤沢な慈善資金の出所は やはり三角貿易。

参考文献 井野瀬久美恵 興亡の世界史 大英帝国という経験

写真はお菓子の里丹波 の遠景(2019年11月)



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