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桔梗の旗揚げ
歴史の世界では今まで通説とされてきたことが、新しく発見された史料により覆されることがしばしば起こっていることはご承知の通りです。
垣根涼介『信長の原理』はフィクションとして考えることもできますが、最新の研究の成果を踏まえていると思われる、そういう新しい発見に満ちた小説です。
前回信玄と謙信に触れましたが、この小説のメインテーマはずばり本能寺の変です。
その原因あるいは要因、背景としてかなり新鮮な内容が書かれていましたのでここに取り上げさせていただきます。
要因その1
斎藤利三は以前美濃の稲葉一鉄に仕えていたが、一鉄と喧嘩別れし、それを明智光秀が引き抜いた。その後那波直治も稲葉家から明智家に移っている。一鉄にすれば明智家に二人も引き抜かれた。
一鉄は信長に直談判し二人を稲葉家に返すよう求めた。しかし斎藤利三はいまや明智家の筆頭家老で侍大将。光秀は当然拒否。そこで信長が下した命令は、なんと斎藤利三の切腹。
光秀はこれを利三に伝えることもできず悩みに悩む。
要因その2
四国に関して信長は長宗我部元親に切り取り次第とし寛容な態度を示し、光秀に長宗我部との取り次ぎ役を命じ斎藤利三は元親とは縁戚関係にあった。
しかし天正10年5月頃には態度を豹変させ織田信孝を総大将に四国討伐軍を編成し出撃を準備中であった。
長宗我部との取り次ぎ役である光秀はまさに面目丸つぶれであった。
要因3
天正10年5月信長は徳川家康を安土城に招待。
家康はさらに京、堺を見物する。
信長は光秀に堺で家康を謀殺せよと命令。しかし光秀は長年同盟を結んできた家康を殺せば人心は信長から離れるとして拒否。
この信長の用済みと判断した人間に対する冷酷過ぎる仕打ちにショックを受け、やがては自分も用済みとして切り捨てられると、これまでの佐久間信盛の追放や荒木村重の謀反など多数の実例に鑑み悲観的に考えた。
主にこの3つの要因が挙げられていましたが、明智軍の中核を占めるのは500年近くの歴史を誇る土岐氏の系統に属する美濃源氏。織田氏という尾張の出来星大名に征服されたものの桔梗紋のもとに強い結束力で尾張者に対抗心を燃やしていたとも言えます。
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