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2022-06-02

ウクライナの非核三原則

 ウクライナのソ連からの独立は1991年8月24日ですが、1990年7月16日ウクライナ最高会議は「ウクライナ主権宣言」を採択した。独立に向けて国家の方向性を打ち出したものと言えます。その中でウクライナは非核三原則を発表した。これを採用する国は日本とウクライナのみです。なぜウクライナは非核三原則を採用したのか?
1990年当時、ソ連崩壊前の段階では、待ちに待った冷戦の終結、それに伴う国際協調の雰囲気が強く、人々が「平和主義」「中立主義」という理想を抱いた。これまでのソ連に対する忠誠心・緊張感が消滅しいわば「平和ボケ」の状態になった。
1990年代初頭ウクライナは世界第三位の核戦力を保持していた。2800~4200発の戦術核弾頭、176発の大陸間弾道ミサイルを持っていた。ソ連崩壊とともにウクライナ国内にある公的財産はすべてウクライナ国家が所有するはずであるが、ウクライナは非核三原則を忠実に実行した。1992年までにほぼすべての戦術核兵器はロシアに輸送された。1994年ウクライナは核拡散防止条約に加盟した。1996年2月最後の核弾頭がロシアへ輸送され、ウクライナは非核国となった。
ではなぜウクライナの非核化は迅速に進んだのか?
当時ウクライナの大統領・最高会議議長から官僚まで支配層は、すべて元共産党員であった。ソ連共産党に対する忠誠心のみで生きてきた彼らは、ウクライナに対する愛国心を持っていなかった。彼らにとってウクライナ国家は権力をむさぼり私腹を肥やすための道具であった。またソ連共産党の中で有能な人はモスクワに集まり、ウクライナのような「地方」止まりの人は有能ではないことを意味していた。
さらにソ連時代にはモスクワの共産党中央委員会の決定を実行さえしていればよく、自分で大きな決定をしたこともなかった。愛国心がなく、堕落した、無能な元共産党員たちは核兵器という厄介なものを一刻も早くなくし、楽に仕事がしたかった。
またウクライナの非核化にはアメリカの意向が大きかったと言えます。
アメリカをはじめ欧米諸国はソ連末期のゴルバチョフ書記長の民主化・自由化の政策や国際協調外交に賛同し、アメリカは経済支援を行なった。アメリカはソ連崩壊後はロシアを支援したが、旧ソ連圏の管理をロシアに託し、旧ソ連諸国を相手にしなかった。アメリカは旧ソ連の核兵器はロシアが受け継ぐべきものと考えた。アメリカは経済制裁や国際社会からの追放をちらつかせウクライナに核の放棄を強硬に迫った。今日のウクライナの悲劇の遠因の一つとしてロシアを偏重・優遇しすぎたアメリカの誤った政策があったと言えます。
参考文献=グレンコ・アンドリー『プーチン幻想』



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