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ブログ

2023-11-19

イスラエルは十字軍国家

 2001年、9.11同時多発テロが起き、当時のブッシュ大統領はアフガニスタンとの戦争について「この戦いはイスラム教徒を相手にする十字軍の戦い(聖戦)である」と表明し、世界各地のイスラム教徒の反発が起きたため、発言を取り消した。しかし実は「十字軍」はイスラム圏永遠の禁句なのであった。

 1095年、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世が、イスラム王朝セルジューク朝に占領されているアナトリア半島(現在はトルコ領)を奪回するため、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を求めたことが発端で十字軍が結集された。

 ウルバヌス2世は、聖地エルサレム奪還のために異教徒(イスラム教徒)に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。

 十字軍は住民を皆殺しにしながらエルサレムに入城した。

 その後1270年の第7回十字軍遠征まで約2世紀近く、略奪と殺戮が繰り返された。

 この時の西欧への恐れと被害者意識がイスラム世界の深層に決定的に刻まれた。

 アラブ・イスラム世界は西欧の行動(特に軍事行動)を十字軍の行動と重ね合わせざるを得ない。アラブ人の心の中には第3回十字軍を打ち破ったイスラム世界の英雄サラディンがおり、そしてイスラエルは一般大衆の受け取り方では新たな十字軍なのであった。

参考文献=小滝透『虐殺の歴史』

2023-10-09

汚職大国ウクライナ

  ある資料の腐敗認識指数世界ランキングによると全対象国180ヵ国中、1位はニュージーランド、2位フィンランド、3位デンマーク、ドイツは10位、イギリス11位、日本は18位、アメリカ27位、そしてウクライナは122位、ロシア136位。

 ハンター・バイデンもウクライナのガス会社プリマスとの関係で収賄があったのではないかと、これに関しては複雑すぎてちょっと要約が難しいところです。。

  共産主義体制では権力者に富が集中し、生き残るためには賄賂を使うのが日常茶飯事とも言われています。ロシアもウクライナももはや共産主義体制ではないが、腐敗は改善されないようです。

 今年4月のある記事によりますと、ゼレンスキー大統領と政府の高官たちはアメリカからディーゼル燃料の予算を受け取っておきながら、安価という理由で敵国ロシアから燃料を買い、差額数百万ドルを着服した。

 またウクライナの国防軍関係者が武器の横流しをしている。例えばジャベリン対戦車ミサイルや一部のミサイルが不正に流出し、ロシアや中東に渡った可能性がある。

 アメリカだけで10兆円とも言われるウクライナ支援の財源は西側諸国の国民の血税であり、ウクライナ戦争により光熱費や食品の価格など物価が高騰し国民の生活を圧迫している。ウクライナ支援の裏側で一部のものが私腹を肥やしている、そのような実態がある。

参考資料=舛添要一『汚職大国ウクライナ』(グローバル・フォーラム)

画像=虹ヶ滝(福崎町)

2023-09-17

ハンター・バイデン

 2019年4月12日デラウェア州のマック・アイザックのパソコン修理店にその男は現れた。3台のパソコンを持ち込み、水没させてしまったパソコンのデータの復元を依頼した。1台のパソコンには『ボー・バイデン財団』のステッカーが貼られていた。

 男はアルコール中毒またはドラッグ中毒の状態でろれつが回らなかった。アイザックがデータの復元作業を始めると、依頼者本人の性的な動画などの他に税務関係の書類や大金を扱うビジネスに関する書類も出てきた。データの復元が終わり、依頼主(ハンター・バイデン)にパソコンを引き取りに来るよう電話するも電話に出なかった。

 7月、ハンターのパソコンデータの復元完了から90日が経過し、契約上ハンターが所有権を放棄したことになり、復元データはアイザックのものとなった。

 アイザックはデータの内容が一般市民の手に負える範疇を超えているものであることを知り、身の危険を感じたのでパソコンとハードディスクドライブをFBIに提供することを決めた。

 退役空軍大佐の父に9月にFBIオフィスに持ち込むよう依頼した。最初門前払いを受けたが最終的に12月にハンターパソコンに関するものはすべてFBIに押収された。

 この時期トランプ大統領がウクライナのゼレンスキー大統領にハンター・バイデンの捜査をするよう圧力をかけたことが問題となっていた。

 2020年1月~2月トランプ弾劾に関する審議が上院議会で行われた。ハンターパソコンのデータはトランプの主張を裏付けるものであったが、証拠として採用されることはなかった。

 このことからアイザックはFBIがハンターパソコンを揉み消そうとしていると感じた。そこでアイザックはトランプ大統領陣営に接触することを考え、2020年8月ついにトランプの顧問弁護士ジュリアーニ氏と連絡が付き、ハンターパソコンのデータがトランプ陣営に届けられた。

 大統領選挙直前の当時、バイデンファミリーの汚れたビジネスの実態を明らかにされるのを恐れた民主党は「ロシアの工作員がバイデンの選挙活動を妨害しようと工作している」と主張した。アイザックもロシアの工作員と疑われNSA(国家安全保障局)などから尋問を受けた。

 2020年10月『ニューヨーク・ポスト』がハンターパソコンのデータを基にした記事「ハンターはいかにしてウクライナのビジネスマンを父に紹介したか」を出した。これに対して『ポりティコ』はロシアの工作であるとし、ハンターパソコンの疑惑を否定した。

 その後過激なバイデン支持者による殺害予告など混乱が続き、11月アイザックは店を閉めデラウェア州を脱出した。

参考文献=やまたつ『左翼リベラルに破壊され続けるアメリカの現実』 画像=前回と同じ

 

2023-08-14

ロバート・ケネディー・ジュニア

 ロバート・ケネディーJr.はケネディー大統領の弟、元司法長官のロバート・ケネディーの息子ですが、米大統領選挙の民主党候補の指名争いに出馬した。
ロバート・ケネディーJr.はコロナワクチンに関して製薬会社に対する不正追求、さらにはロバート・ケネディー暗殺事件の関してもCIAの犯行と断言するなどで陰謀論者とされ大手マスコミからは完全に無視されているが、徐々に支持を広めつつあるとも言われる。
彼に関する情報が少ない中、賛成できる部分もあるので、それを掲載します。
「米国の年間国防関連支出は1兆ドル(約140兆円)にもなり、世界中に800もの軍事基地を維持している。しかしベルリンの壁崩壊後もたらされるはずだった平和は訪れていない。私が大統領に当選したら、米国という帝国を解き放つ準備をする。米国は次々起こる戦争のたびに返済不能な負債を積み重ねている。軍隊は自国を守るという本来の役割に戻るべきだ。代理戦争や秘密工作が普通になってしまっている。戦争好きな帝国(米国)が自らの意志で武装解除をすれば、それは世界中の平和の雛形になる。今からでも遅くない、健全な国家として平和に奉仕すべきだ」 彼は外国の全ての軍事基地から米軍を引き揚げさせるとまで言った。

 これまでのイラク戦争、アフガニスタン戦争、今回のウクライナ戦争で莫大な資金を投じ、それらは何ひとつ我々に平和も安全ももたらさなかった。米国が莫大な金を使ってシリアやアフガニスタンを攻撃していた時、中国はアフリカで学校や橋を造っていた。

 第6代米国大統領のアダムスの1821年の独立記念日の演説での言葉「米国は怪物を退治するために国外に出ていくことはない」。
JBpress 2023.5.12 堀田俊男 より

画像=須濱神社(姫路市林田町)

2023-06-26

反政府運動を煽り好ましくない政府を倒した

 1957年2月に首相に就任した岸信介は、吉田首相が結んだ日米安保条約のままでは日本民族の恥さらしだと思い、安保条約をもっと自主性のあるものに改定する、そのためには再軍備・憲法改正も必要と考えていた。

 同年6月訪米した際の共同声明では、米軍地上部隊の速やかな撤退を含む米軍の大幅な削減が明記された。岸はさらに行政協定についても全面的に改定すべき時に来ていると国会で答弁した。

 しかし行政協定に関しては米国側の強い抵抗が予想され、岸はまず安保条約を改定ししかる後に行政協定の改定を目指す二段階論を考えていた。当時自民党は衆議院で288議席という圧倒的多数を有しており新安保条約の批准は問題なく進むはずであった。

 しかし自民党内部の池田勇人らは安保条約と行政協定の同時改定を強く主張し、岸に実現不可能な無理難題を吹っ掛けた。池田らの言わば遅延作戦により安保条約改定は難航し、そうこうしているうちに安保反対運動が急速に盛り上がった。

 そして1960年6月15日ついに女子東大生がデモに参加中死亡するという事故が起こった。6月18日には多数のデモ隊が国会・首相官邸を取り巻いた。6月19日新安保条約は参議院の議決がないまま自然成立し、6月23日岸首相は辞意を表明した。

 岸の次の首相となった池田勇人がその後行政協定を改定したかというと、全くせず「所得倍増計画」を打ち出し国民の目を経済に向けさせひたすら高度経済成長に突き進んだ。

 ところで安保闘争の最盛期早稲田車庫から国会議事堂まで都電やバスをを20~30台チャーターして運動員を運んだ。その財源はどこか?これについては田中清玄という人物が電力・製鉄・製紙・新聞など経済界からの資金を渡していたことがわかっています。経済界特に経済同友会は親米の経営者組織と言われている。

 ここで考えられるシナリオとしては、まず米軍関係者が岸首相の米軍削減路線に危機感を覚え安保闘争を起こさせ岸政権を倒そうとした。経済同友会にデモへの資金援助をさせた。死亡事故まで起き岸退陣の見通しがついたので新聞を使ってデモを抑え込む方向に動いた。

 対米自主路線を目指した岸政権は倒され対米追随路線の池田政権にとってかわられた。

参考文献=前回と同じ 画像=弊社庭園

2023-06-14

対米追随の原点

 1951年9月8日サンフランシスコのオペラハウスで日本は48か国の代表と講和条約を結んだ。同日、日米安保条約も締結された。アメリカ側のアチソン国務長官他4名に対し日本は吉田茂首相ただ一人であった。しかも場所はサンフランシスコ郊外の米軍基地の下士官クラブであり、首相と日本国民に敗戦国としての身の程を知らせる意味もあったと思われる。
 そして米軍の日本駐留に関しては安保条約にはなんの記述もなく、国会の審議の必要のない行政協定に入れられた。
 この行政協定に「米国は駐留を希望する基地について、講和発効後90日以内に日本側と協議し日本側の同意を得なければならない。ただし90日以内に協議が整わなければ、整うまで暫定的にその基地に留まってよい」という箇所があった。
 当時サンフランシスコ講和会議に全権随員として参加していた宮澤喜一元首相はこれについて「これでは講和条約を結んで独立する意味がない」として外務省に削除を申し入れた。
 するとこの規定は行政協定からは削られたが、国務大臣岡崎勝男とラスク国務次官補の名が入った「岡崎・ラスク交換公文」の中にそのまま残された。
 米国は望むだけの軍隊を望む場所に望む期間、駐留させる権利を確保したい。しかし日米安保条約には書けない。そこで行政協定に入れた。しかし宮澤などの目にとまって都合が悪くなると誰も見ない「交換公文」に書き込んだ。
 交換公文は国家間の合意文書であり、公に発表はしないが効力は同じ。岡崎は行政協定締結の直後、外務大臣に昇進した。戦後の日本外交の極端な対米追随姿勢は吉田首相と岡崎国務大臣によって決められた。

 参考文献=孫崎亨『戦後史の正体』

2023-06-02

池中立石

 5月に岩手県平泉の毛越寺庭園に行きました。神戸空港から花巻空港まで約1時間半とは言え、自分としては生涯ただ一度の平泉かもしれない。しかし改めて日本庭園の美しさを教えられ、奥州藤原氏が100年で滅んだ悲劇の地でもあり、大変感慨深い庭園体験となりました。
 気付いたことを2点だけ書きます。
 まず池の汀線の美しさ。これはゴロタ石を遠浅に敷き詰めた州浜状の汀などによるもので、堅固な護岸石組ではこうも美しい優美な曲線は出せないと思われます。
 そして毛越寺というと必ず「池中立石」を後ろ側の岸から撮った写真が使われるのですが、今回立石が一番美しく見える位置はどこなのか、池をめぐってみました。これに関しては創建当時、「南大門」のあったところから中島へ、中島から金堂のあった対岸へと、2本の橋が架けられていたことが参考になります。やはり今はない橋の上から、または対岸から見るのがベストなのであろうと思いました。そう思ってみるといつもの見慣れた池中立石のあまり見せたことのない別の表情が見えたのかもしれません。ちょっと遠かったけど。

 

 

 

2023-05-07

重森三玲の集大成

 約20年ぶりに松尾大社庭園を訪れ、感じ方も変わったと思いましたので感想を書いてみます。

 重森三玲の庭はかなりの程度共感できるが、しかしちょっとやりすぎでは?とも思っていました。

 まず庭の構成要素が立石と砂利と地模様、苔かサツキだけだったりと、構成が明快すぎて単純に見えてしまう。これに関しては、まず護岸石組みをなくし、代わりにモルタルで地模様を描いたり、護岸をゆるやかな法面にしてそこに張石をするなどし、そのうえで築山や島に石組みをすることにより、石組みに視線を集中させる目的のためであったと考えられます。

 また立石が多すぎると感じた点に関しては、重森としては立石こそが石の特徴・魅力・勢い・表情等を最も訴えやすいと考えたのではないかと思います。そして立石に変化を持たせるため高さ・傾きの角度を変え様々な石の組み方をした。

 とは言えなかなかその良さがわからない石組みが多いのも事実であり、私はこの庭で一番好きな石はどれだろう?と考えたりしました。するとなんでもなく思っていた石が好ましく思えることもあります。

 地模様に関しては、日曜美術館で見た歌川広重の作品(洗馬宿)に雲や岸の表現に重森三玲的なところがあり、景色の理想形を描いている点で共通していると思いました。

 そして今回の松尾大社で一番良かったのは、重森三玲の三尊石組でした。これは大沢の池・名古曾の滝を思わせる重厚な三尊石組でここは共感できたところです。

 

 

 

2023-03-31

戦争によって利益を得る者

 文久3年(1863年)孝明天皇が攘夷実行の勅命を発したことから、萩藩(長州)は5月に外国船に無差別発砲をした。さらに7月には薩摩と英国との戦争が勃発した。

 そしてこのタイミングで横浜にイギリス系銀行、セントラルバンク、マーカンタイルバンク、コマーシャルバンクが、さらに翌年にはオリエンタルバンクが支店を開設した。

 戦争が始まった危険な時期になぜ? というより彼らは戦争を待ち望み、ついにその時が来たと判断し横浜に上陸した。

 戦争が始まりまずグラバー商会やジャーディン・マセソン商会が中古の戦艦を高値で売りさばき大儲けした。戦争により武器商人が潤う。しかし問題はそこにとどまらない。

 戦争が起きると戦争当事国の通貨は暴落し、国際決済で使えなくなる。そして横浜に進出した外資系銀行が貸し出す国際流通通貨(当時はメキシコ・ドル)で決済せざるを得なくなる。これによらなければ銃1丁買えない。外資系銀行の融資に頼らなければ戦争ができない。逆に外資系銀行からすれば戦争をしてもらわなければならない。

 戊辰戦争後、士族の反乱が続き、明治10年には西南戦争が勃発、明治8年の江華島事件後は朝鮮での紛争が続きついに日清戦争へとつながっていった。幕末以来日本は戦争が続く状態となった。

 余談ですが司馬遼太郎によって有名になった坂本龍馬の暗殺犯ですが、武力討幕をしたかった薩長とりわけ薩摩にとって、大政奉還などという卑怯なやり方は許せない、その仲介をした龍馬は生かしておけないとなった、と論理的には言えるそうです。

参考文献=苫米地英人『明治維新という名の洗脳』

画像=京都 大原 三千院

 

2023-02-25

強気なポーランド

 第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、ポーランドにバルト海への出口を与えるため、ドイツ領の西プロイセンがポーランドに割譲された。これによりドイツ領東プロイセンは飛び地となった。

 西プロイセン(ポーランド回廊)には多数のドイツ人が居住しており、1939年ヒトラーはダンツィヒの返還とポーランド回廊への鉄道と高速道路の建設を求めたが、ポーランドは強気に出てドイツとの交渉をはねのけた。

 1939年9月1日にナチスはポーランドに侵攻するが、その直前には西プロイセンのドイツ系住民六万人がポーランド人に虐殺されていた。

 ポーランドが強気でいられたのは戦争になっても英仏両国から支援の約束を取り付けていたからであった。さらに米国のフランクリン・ルーズベルトも英仏側に立って参戦するとの意向を示していた。これは現在のゼレンスキーが欧米からロシアと妥協するなと圧力をかけられている状況と同じです。

 また米国は独ソ不可侵条約の秘密議定書の内容(独ソでポーランドを分割)を知りながらポーランドに伝えなかった。

 その後英仏は約束通りドイツに宣戦布告したものの、ポーランドに援軍は送らず、亡命政府をロンドンに受け入れただけであった。ヒトラーと組んだソ連が東側からポーランドに侵攻したことは黙認した。ポーランドはドイツ・ソ連・スロバキア・リトアニアの4か国に分割占領された。ポーランドは英仏米に騙された。ポーランドの指導者は愚かであった。

 ヒトラーは英国との和平を望んだが、チャーチルは交渉を拒否し、戦争を継続した。チャーチルが強気でいられたのはルーズベルトの米国が参戦してくれると信じていたからであった。ルーズベルトは武器貸与法を成立させ武器支援をしていたが、日本を石油禁輸で締め上げついに真珠湾攻撃をさせた。これで米国世論は大きく変わり参戦に踏み切れた。

 1943年のテヘラン会談でスターリンはルーズベルトに、ソ連国内の民主化を約束し、その見返りとしてポーランドに共産主義政権をつくることを認めさせた。スターリンにまんまとやられた。

 プーチンが侵攻に踏み込んだ理由もドンバス地方でのロシア系住民の虐殺であったし(ウクライナに不利な情報は一切報道されないが)、小国が大国の支援を頼りにするところも同じである。

参考文献=渡辺惣樹・福井義高 『「正義の戦争」は噓だらけ』

画像=京都 大原 宝泉院