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ブログ

2021-09-12

大祖国戦争

第二次世界大戦前後のソ連の動きを注視すると、第二次大戦を日独伊のファシズム陣営と米英ソの民主主義陣営との戦いと見る固定観念では理解できない歴史の真実があるかもしれません。
1 1939年5月 ノモンハン事件勃発
満州とソ連の国境をめぐる紛争で、最新装備を持つソ連軍の前に日本軍は大敗。しかしこの事件を機にスターリンは、日独に挟まれるニ正面作戦を避ける必要に迫られた。
2 1939年8月23日 独ソ不可侵条約締結
これによりソ連はニ正面作戦を回避できる体制ができた。しかしこの条約では独ソによるポーランド分割、ソ連によるバルト三国併合が秘密議定書で定められていた。
3 1939年9月1日 ドイツのポーランド侵攻
4 1939年9月17日 ソ連のポーランド侵攻
ソ連はさらに11月にフィンランドに侵攻、12月に国際連盟から除名される。
1940年にはバルト三国も併合。
5 1941年4月13日 日ソ中立条約締結
将来の独ソ戦に備えて手を打ったと考えられる。
6 1941年6月22日 独ソ戦勃発
ドイツは石油確保のため、ソ連のバクー油田を狙ったといわれる。
7 1941年12月8日 日本が真珠湾攻撃
ちょうどこの頃ソ連侵攻中のドイツ軍はモスクワの手前40kmのところで戦車のエンジンオイルが凍りつき、ドイツ軍は停止。スターリンは日ソ中立条約を結んでいたこともあり日ソ戦はないと判断、シベリアにいた部隊をモスクワ防衛に回し、ドイツ軍を押し返した。

8 1942年~43年 ソ連はスターリングラードの戦いに勝利

ドイツ軍はバクー油田に向かって進軍したが、ソ連軍は途中のスターリングラードを防衛、勝利した。

9 1945年2月 ヤルタ会談

ヤルタ密約で、

ソ連はドイツ降伏後3ヶ月以内に対日参戦すること

ソ連は日露戦争で日本に奪われた南樺太、旅順・大連の利権、満州における鉄道利権を得ること

ソ連は全千島列島を併合すること

が決められた。

10 1945年5月 ベルリン陥落、ドイツ降伏

11 1945年8月9日 ソ連は日ソ中立条約を破棄、満州・朝鮮・南樺太・千島列島に侵攻

12  満州に残された日本人、日本兵は帰国を許されず、70万人がシベリアに抑留され強制収容所に送られた。そこでは強制労働に従事させられたばかりでなく思想教育がなされた。「君らは日本帝国主義の犠牲者であり、戦争を起こした元凶は軍部、財閥、そして天皇である。祖国に戻った際には帝国主義を打倒し社会主義を実現しよう」。

スターリンはナチスドイツに勝利しソ連の領土を拡大した英雄、という評価は今も根強い。

 

参考文献=茂木誠『戦争と平和の世界史』

画像=醍醐寺三宝院(2018年撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

2021-08-29

西安事件

1931年9月18日に起こった満州事変は1933年5月の停戦協定によって終結し、列車の相互乗り入れや郵便事業の展開もなされ、日中関係は安定していた。
蒋介石は日本よりも中国共産党の殲滅に力を入れ、劣勢に陥った共産党は「長征」と称する退却を余儀なくされ延安に落ち着いた。
追い詰められた共産党ー毛沢東にとっては、蒋介石を日本との戦争に専念させ、二者を共倒れさせることが生き残るための必須条件であった。
1936年12月国民党の東北軍司令官張学良が西安で蒋介石を拉致監禁する事件が起きた(西安事件)。
父親の張作霖を関東軍に殺されたと信じていた張学良にとって、憎いのは共産党ではなく日本であった。そこに毛沢東とソ連・コミンテルンがつけ込み、蒋介石監禁の計画を立て張学良を扇動したと考えられる。
蒋介石は、共産党と共に日本と戦争する、と約束させられて釈放されたが、その後国民政府内の実質的な権力を失った。
この第二次国共合作によりその後の日本の不拡大・和平方針はことごとく蒋介石に拒否された。蒋介石のバックにいるのは毛沢東・コミンテルン、上海サッスーン財閥等英国企業の利益を擁護するイギリスなどであった。
2001年張学良はハワイで百歳の天寿を全うし、中国国家主席江沢民は弔電の中で張学良を「偉大な愛国者、中華民族の永遠の功臣」と讃えた。張学良が蒋介石を裏切って西安で監禁してくれたからこそ、抗日統一戦線が成立し共産党勝利の道が拓けたのだから。

 

前回参考文献=茂木誠『「戦争と平和」の世界史』

今回参考文献=馬渕睦夫『アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ』

画像=弊社のクロマツ等

2021-08-17

デラノ家と宋美齢

まず以前の投稿で誤りがありましたので訂正します。「パレスティナ」よりも「パレスチナ」の方が一般的なようですし、「インディペンデンス・デイ」が正しい。またポーツマス条約の結果、日本は樺太の南半分の併合、遼東半島の旅順・大連の租借権、南満州鉄道の租借権を得、韓国における日本の優越感を認められている。これが後に韓国併合につながるように思います。

さて8月15日NHKテレビ『開戦秘史』では蒋介石の日記を中心に日米開戦に至る過程を検証されていました。

蒋介石の思惑としては、中国国民党だけで日本に勝つのは無理、そこで大国の介入、つまりはアメリカの介入を招き、日本をアメリカと戦争させ中国に最終的に勝利をもたらしたいというものです。

番組の中で蒋介石の妻宋美齢が全米各地を回り中国への支援を取り付ける広告搭の役割を果たした映像が流された。宋美齢が車中で談笑する相手はアメリカ大統領F・D・ルーズベルト。

ところで、ルーズベルトのミドルネーム「デラノ」は母方の姓であり、デラノ家は清とのアヘン貿易で利益を得ていたラッセル商会の取締役であった。ラッセル商会はアヘン売買を取り仕切るチャイニーズマフィア哥老会と結び付いていた。哥老会は孫文の革命運動を支援し、孫文・蒋介石とのコネクションを持っていた。

ラッセル商会は国際都市上海に拠点を置き、中国人の浙江財閥を配下におさめていた。浙江財閥は中国の農村部からの大量の労働者を劣悪な労働条件で働かせた。

その浙江財閥の宋家の次女宋慶齢は孫文に嫁ぎ、三女の宋美齢は蒋介石の妻となった。

F・D・ルーズベルトと宋美齢との「奇縁」。

2021-08-01

ジョン・フォン・ノイマン

1945年春、ノイマンはロスアラモス国立研究所からプリンストンの自宅に戻り12時間眠り続け、目を覚ますと妻に打ち明けた。
「今我々が造っているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っている。科学者は科学的に可能なことはやり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことだとしてもだ」
アメリカは原子爆弾の完成を急いでいた。なぜならドイツも原爆の研究に着手していたから。
1939年9月「核分裂のメカニズム」論が科学誌に掲載されると、10月にドイツ陸軍省は「原子爆弾開発計画」を決定。

1940年12月ドイツは原子炉を完成させた。

1942年6月ドイツ軍に呼ばれた科学者ハイゼンベルクは、通常の100万倍の威力を持つ爆弾を2年以内に開発できること、大都市を破壊するのに必要な原爆の大きさはパイナップル1個分であることを答弁した。

しかしその後ドイツの原子炉は制御不能となって大爆発を起こし、さらにノルウェーの重水タンクが破壊され、原子炉の制御に必要な重水の供給が不可能となり、ドイツの原爆開発は暗礁に乗り上げた。

アメリカが原子炉を完成させたのは1942年12月、ドイツより2年遅れていた。

ノイマンをはじめとするハンガリーのブダペストのギムナジウム出身のユダヤ系科学者たちは、ナチスのユダヤ人迫害政策が激化するヨーロッパからアメリカに逃れてきた。彼らは自分たちを受け入れてくれたアメリカのため、戦争を早期に終わらせるため、非人道的な兵器(そもそも兵器は非人道的ですが)の開発に邁進した。

似た状況が第一次大戦時にもあった。

第一次大戦で毒ガスを開発したフリッツ・ハーバーはユダヤ人であるがプロテスタントに改宗しドイツ軍に志願した。彼の妻は毒ガス使用に反対し拳銃自殺した。しかし彼はさらに毒性の強いガスを開発した。1933年ナチスはユダヤ人であるハーバーを公職から追放した。彼の開発した毒ガスはユダヤ人強制収容所で使用された。ハーバーもまた戦争を早期に終わらせるため、人命を救うため毒ガスを開発した。

参考文献=高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021-07-07

棍棒を携え、穏やかに話す

フランクリン・ルーズベルト大統領よりもかなり前、アメリカが日本を警戒し始める、その背景について見ていきます。

1 まず日本が日清戦争に勝利し、1895年台湾を割譲される。

2 次にアメリカはメイン号事件をきっかけにジャーナリズムによる世論操作もあり、マッキンリー大統領はスペインに宣戦布告する。1898年米西戦争によりキューバの独立、保護国化だけでなく、フィリピンまで併合した。

しかしフィリピンはアメリカ本国からはあまりに遠く、中継地を必要とした。そこでアメリカは同年ハワイも併合した。

3 アメリカのフィリピン併合により台湾を領有する日本とアメリカはきわめて近い位置関係に立った。

4 1905年日本海海戦において日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊相手に完勝し、日本は日露戦争に勝利した。日本は東アジアの海洋で最強の勢力となった。

5 日露戦争の和平交渉を買って出たのがアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領であった。ルーズベルトはフィリピン防衛のために日本にこれ以上力を持たせるのは危険と考えており、ポーツマス条約で日本に賠償金も領土も与えなかった。

6 さらに1907年アメリカは「オレンジ計画」を策定。「オレンジ」は「日本」の暗号名であり、アメリカ海軍は日本を最大の仮想敵国とみなし軍備の増強を始めた(しかし同じ頃日本もアメリカを仮想敵国とみなしていた)。

セオドア・ルーズベルトは親日家として知られ新渡戸稲造の『武士道』を愛読した。

ちなみに「アメリカ大統領人気ランキング」なるものによればF・ルーズベルトは3位、T・ルーズベルトは4位 (1位はリンカーン、2位はワシントン)。

参考文献=内藤博文『アメリカ歴代大統領の対日戦略』

画像=重森三玲生家跡庭園

2021-07-01

インディペンデント デイ


7月4日はアメリカ独立記念日。

2020年10月、バイデン大統領候補はジョージア州ウォームスプリングスを訪れた。そこはフランクリン・ルーズベルト大統領がポリオ治療のために温泉に通った町である。バイデン氏はルーズベルト大統領と「ニューディール」政策に賛辞を送った。

ところで、F・ルーズベルトは「日本人の頭蓋骨は白人のものより約2000年発達が遅れている」と根拠のない日本人差別をした。ルーズベルトは日米開戦後、多くの日系人を強制収容所に連行し過酷な労働を強いた。

「ニューディール」政策はさして効果を上げず、アメリカが景気回復するのは第二次大戦参戦によってであった。

1945年3月アメリカは3発の原子爆弾を完成させた。「トリニティー」「リトルボーイ」「ファットマン」。それらは7月16日にニューメキシコの砂漠で、8月6日に広島で、8月9日に長崎で使用された。ニューメキシコは「実験」であるが、広島・長崎となると……。アメリカはドイツには原爆を落とそうとしなかったが、日本は原爆の実験対象とされた。

このような日本を警戒・敵視するアメリカの政策はいつから芽生えたか?それはF・ルーズベルトの遠い親戚、彼の憧れの対象であったセオドア・ルーズベルト大統領からではないかと思われます。これについては論点を整理して次回投稿します。

画像=クイーンエリザベス(明石公園)

 

 

2021-06-03

China

2021年7月23日は東京オリンピックの開幕日であるが、奇しくも中国共産党結党100周年の日でもある。

中華人民共和国の「中華」とは?「華」は文明のことであり、中国人は文明の「中」にいる。文明の「外」にいる民族は「夷狄」=野蛮人である。

中華思想を定着・一般化させたのは宋の時代の司馬光。『資治通鑑』(1084年)のなかで、高度な文明を持つ漢人は憐れな周辺蛮族に施しを恵んでやる寛容さを持たなければならない、と記述している。

ところで、その宋王朝はモンゴル人の契丹族の圧迫を受けており、多額の金銭をモンゴル人に毎年貢納してなんとか和平を保っていた。そしてこの屈辱の実態をおおいかくすため中華思想を利用した。つまり文明人である漢人が野蛮人であるモンゴル人に施しをしているという構図に置き換えた。

中華思想は弱い宋王朝の屈辱の裏返しであり極端な民族主義である。

ではその肝心の漢人(漢族)はというと、長い歴史のなかで周辺の多民族と混血を繰り返しており、純粋な漢人はすでに存在しない。

中国を代表する王朝である隋も唐もモンゴル人鮮卑が建国した王朝であり、宋はトルコ人が、元はモンゴル人が、清は満州族が建国した。

英語で中華人民共和国をPEOPLE’S  REPUBLIC   OF   CHINA。「支那」。

しかし中国人は自分の国のことを「支那」とは呼ばない。彼らの主張によると「支那」は戦前の日本人が中国の蔑称として使っていた言葉であり、中華人民共和国=中国という名があるため支那は使わないと。

なので東シナ海は「東海」、南シナ海は「南海」と呼ぶ。

 

参考文献=前回と同じ

画像=桃井ミュージアム(赤穂市)の善導寺型灯籠(江戸時代)

 

 

 

2021-05-25

パレスティナ問題


 パレスティナを支配していたオスマン帝国は19世紀後半には弱体化しており、1894年フランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人大尉ドレフュスの冤罪事件)をきっかけにシオニズム運動(ユダヤ人のパレスティナへの帰還を目指す運動)が起きた。

その後第一次世界大戦でイギリスは戦争の資金調達に苦しみ、ユダヤ人財閥ロスチャイルドに援助を依頼した。ロスチャイルドは援助と引き換えにパレスティナにユダヤ人国家を建設することを約束させた(バルフォア宣言)。

しかし第一次大戦の頃にはすでにエネルギー動力は石炭から石油に移行しており、イギリスは油田を所有するアラブ人の要求にもこたえる必要があり、アラブ人にも居住地を約束した(フサイン・マクマホン協定)。(イギリスのいわゆる二枚舌外交)

第一次大戦後、イギリスはユダヤ人のパレスティナ移住を進めたが、追い出されたアラブ人とユダヤ人は武力衝突を起こした。

イギリスは混乱を収拾するためユダヤ人のパレスティナ移住を制限したため、イギリスに失望したユダヤ人はアメリカでロビー活動を行ない、アメリカにユダヤ人国家建設の支援を約束させた。

1948年ユダヤ人国家イスラエル成立。イスラエル建国後アラブ人はヨルダン川岸地区とガザ地区に移住させられた。

ガザ地区を主導する過激派ハマスによりイスラエルとの対立は激化している。

ちなみにですが、イスラエルの面積は22140k㎡ 四国よりは広く、九州よりは狭い。

参考文献=宇山卓栄『「民族」で読み解く世界史』

画像=先日植栽した花壇

 

2021-05-15

ユダヤ系金融資本と鋼鉄の男ジュガシヴィリ

中世以来ユダヤ人の多くは差別が少ないポーランドに住んでいたが、18世紀にロシアに併合された。

1853年のクリミア戦争でロシアは完敗したが、イギリス軍の蒸気船を見てロシア人は仰天、ロシアは近代化を急いだ。

しかし資金面ではユダヤ系財閥ロスチャイルドの資本に頼らざるを得なかった。ロスチャイルドの投資によってロシアの皇族・貴族は私腹を肥やしたが、一般市民には富が行き渡らず貧富の差が広がり、民衆の不満が高まった。

民衆の不満が政府に向くことを恐れたロシア政府は「富の不均衡の原因はユダヤ人にある」と喧伝した。ロシア政府はいわば「恩を仇で返した」。

そのような時皇帝アレキサンドル2世が暗殺される事件が起きた(1881年)。犯行グループの中にユダヤ人がいたことからロシア全土で民衆がユダヤ人を襲撃する事件が起きた。この時ユダヤ人が逃げ延びた先がヨーロッパとアメリカであり今アメリカに住むユダヤ人のほとんどはロシアからの移民である。

第一次世界大戦中、レーニン率いるボリシェヴィキが帝政ロシアを倒した(ロシア革命)。レーニンは母方がユダヤ人であり、赤軍司令官トロツキーもユダヤ人であった。またボリシェヴィキに資金を提供したのも国外のユダヤ資本であった。乱暴に図式化するとロシア帝国に迫害されたユダヤ人がロシア革命でロシア帝国を倒した。

レーニン死後ユダヤ人トロツキーとグルジア(ジョージア)人スターリンの権力闘争が起き、スターリンの大粛清によりユダヤ勢力は共産党から一掃された。またスターリンはユダヤ資本で開発した鉄道や油田を次々に接収、国有化した。それを見ていた国外のユダヤ系金融資本は怒りに震えた。「スターリンは恩を仇で返した」と。

第二次大戦後、米ソは冷戦に突入するが、その根本にはアメリカに住むユダヤ人のロシアに対する敵対心があった。

参考文献=茂木誠『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』

画像=炭俵を積んだ大八車(村岡ファームガーデン)

2021-05-02

ウイグル

ウイグルではイスラム教信仰を厳しく弾圧され、ウイグル語やウイグル文化を教えることも制限され、中国語を強制されている。中国ではかつての一人っ子政策の影響で結婚できない男性が増えた。彼らをウイグル人女性と結婚させ、生まれた子供には中国流の教育を受けさせ、ウイグルの文化・宗教と切り離した。他方、ウイグル人男性は多くが収容所に入れられる。「民族浄化」という恐ろしい実態。

ウイグル人はトルコ系民族であり、トルコ人はもともとモンゴル高原北西部に住んでいた。彼らは突厥(とっけつ)と呼ばれ中国に侵攻したが、唐に敗れモンゴル高原からタリム盆地、ジュンガル盆地に移った。

8世紀にウイグルと名前を変えた。「ウイグル」とはトルコ語で「我、主君なり」。10世紀にイスラム教に帰依しイスラム商人との交易が栄えた。11世紀、トルコ人はさらに勢力を西に拡げ、アジアの西の端アナトリア半島にまで進出、セルジューク朝を建国。さらに16世紀にはオスマン帝国を建国し大発展した。

このようにウイグルはオスマン帝国につながるトルコ系民族であったが、中国清王朝全盛時代を築いた乾隆帝の積極的な対外遠征によりウイグル人居住地のタリム盆地、ジュンガル盆地は征服された。これらの土地は「新疆」(新しい土地の意)と呼ばれた。

参考文献=前回と同じ

画像=弊社植木畑(英国式庭園部)